昭和44年12月21日 朝の御理解
中村良一
御理解 第81節
「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」
例えば、一日なら一日のことを言うても、同じことが言えると思うのです。ね。一生懸命やった。おかげで、まぁ無事にすんだ。やれやれ、その、やれやれと言うのがいけないのである。例えば、昨日は、報徳祭が、あのように、今迄と違った、いわば、変わった、一つの兆しを、昨日の報徳祭に、私は感じました。例えば、参拝者の、いわば、顔ぶれを見ましてもですね、何かこう、新しい一つの、これからの合楽の息吹といったようなものを感じたんです。本当に、そういう意味で、有難い御大祭でした。いつも、私は、御大祭を頂いて、後片付けが、皆さん、一生懸命、なさいます。そのうちに、ご直会も出来る、そして、ご直会を頂きますと、しばらく、夜の御祈念ぐらいまでは、休ませて貰う。それから、夜の御祈念にに出てきて、それから、その日の、お初穂の整理なんかを致しますから、もう、一時にも、一時半にもなるんですよね、いつも。
ところが、昨日、私、御直会を頂いてすぐ、久富先生と変わりたいと思って、先生と変わって、それから、御結界奉仕をさせて頂いてから、次々、お取次ぎさせていただくことが、やはり、私が、心掛けねばならないようなことだったもんですから、おかげで、昨日は、休まんですんだ訳です。で、それもまた、私の心の中に、何とはなしに、有難いというか、生き生きとしたものを感じておりましたし、皆さんも、あの、昨日の、御大祭の後の、親先生のお説教を頂かれて、あの、気付かれたり、感じられたりした事があろうと思うのですけれども。知っていたんです。知っていましたけれども、私、親先生のお話を、昨日頂いて、改めて、おかげ頂いておるなぁと言うことでした。
以前はあの、報徳祭と言うのは、四神様のお祭りと申し上げておりましたから、十二月の二十日が報徳祭でした。ところが、御本部で、御大祭と言うものが、全部、十日に絞られましたからね。報徳祭も、やっぱ、十日になった。昔は、十二月の二十日でした。それがその、四神様の、いわば、おたち日なんです。十二月二十日と言うのは。それは、知っておりましたけれども、そういう、四神様の二十日だから、家は二十日にすると言ったんじゃなかったんですよ、実は。幾つかの、十六日から、あの、二十日という日に変えなければならない時には、幾日も、何日、何日、何日という様な事を、親先生にお届けして、その親先生から、その二十日が良かろうと言うて頂いて、二十日になったんです。で、昨日、親先生の話を頂きよりましてですね。いわゆる、今日は、四神金光様のおたち日だと言うた。お話が中にあって、改めて、はぁおかげ頂いておるなぁ。これから永劫という事なんですけれども、合楽のある限り、恐らくは、十二月の二十日が、報徳祭という事になりましょうが、ね。それこそ、九州の大恩人と申しあげ、また、思わせて頂いておる四神様のお祭りがです。そのおたち日に出来るという事は、やっぱり、四神様とのご縁が深い証拠だなと、私は思うたんです。なるほど、小倉が二十日になさる訳が分かったんです。小倉も二十日ですからね。
そういう意味でですね、本当に四神様のまぁ御神霊、三代金光様の御神霊の、まぁしからしめるところであったと。合楽に掛けられておる願いが大きければ大きいほど、そういう様な、こちらは、気が付かん中に、そういう働きを受けられておる事を、改めて気づかせて頂いて、有難いなぁという風に、まぁ思うたんです。で、そういう訳でしたから、御直会が済みましても、やっぱり、私が、ここへ座って、それからまぁ、宵のうちに、また御初穂でも整理させて頂いとこうかと言うて、久富さんと、末永さんに手伝うてもろうてから、整理しましたから、もう、夕方は、終わってしまいました。
それからあの、私は、昨日、二十日が、あの、菊栄会をやってるという事を、全然、あの、忘れてしもうとったんです。ところがあの、たまたま、久留米の野口つぁんと、富永さんと、あちらの御用を終わって、帰られるというので。あら、とうとう、今日、私は、あーたのお茶を頂かんなりに仕舞えた。お茶一服頂きたいがと言うたら、そんなら、と言うて残ってから、お茶を立ててくださいましたから、あちらで、お薄を頂きながら、ほんに、今日は、あそこの応接間で、なんか会議がありよる。そるけん、あの人達も一服やると思うたら、なんかその昨日は、秋永先生を交えて、菊栄会があっておったんでした。しかも、その中に取り上げとる、また大変大事な問題の話でございましたし、もう、久し振りで、菊栄会の人達と、菊栄会の雰囲気に、昨日触れて、まぁ大袈裟に言うとですね、最近の、菊栄会が、危機に瀕しておるという事です。もう、何と言ったって、合楽の、まぁ総代さん達、次いで菊栄会。まぁいうならば、本当の意味での、まぁちょっとした御用団体ですね、合楽の。それがその、御用という事にです。この頃、なんか、骨抜きになってしまっていることを、私が感じておったんです。それを、まぁ、忌憚なく、話もさせてもらい、聞かせても貰ったりして、まぁ大変、おかげを頂いてです、ね。中の一人なんかは、もう本当に、脱落寸前だったんですものね。それを昨日、例えば、私は、あんたが事を、どのくらい、私が思いよるかと。もうとにかく、私が、この思いがね、本当言うたらね、あんたの夢の中にぐらい現れてこにゃ、嘘だと、私は思うがと言うたら。先生、実は、その夢をおりますと言うのです。ね、そげな働きがありよろうがと、私が言うた。ね。
改めて、また、何とはなしにこう、新しい、いや、それは、私が、今日の報徳祭を境にね。私が、例えば、ほんなら、如何に忠義を、例えば、尽くそうと思うてもですね。まぁ言うならばです、名将の所に、弱卒なしという様な諺があるように、ね。立派な先生の所には、本当に、昨日の御理解じゃなかばってん、それこそ、お広前の事に、信心の事に、ひたむきな信者が、必ずおると。ね。だから、その、忠義を、例えば尽くそうと。忠義なんていう、古臭い言葉ですけども、まぁ、使いますならです。忠義を尽くそうと思うてもです。ね。忠義を尽くそうと思うても、尽くさんならんと思うけれども、尽くす気が起こらん。中心がつまらんからだと、私は思う。ね。だから、決して、私は、あんた達を責めはしないと。けれども、私は、今日のお祭りを境に、私自身が一つ、おかげを頂きたい。ね。私が、名将になりゃ、必ず、絶対、立派な家来が出来るんです。ね。だから、あなた方の信心をね、何時の場合でも、どんな場合でも、私は、安心しておれれると。あんた達が場合は、まぁ信心が堕落しておるという意味じゃないですけれど。例えば、信心が、疎遠になっておっても、何とはなしに、私を煙たがったり、敬遠するような雰囲気があると。いや、そんな事はないち、言うてもあると、私が言うておる訳ですよ。ね。
けれどもね、私が立派になりゃ、あんたどんが、立派にならんはずは、絶対ないと、まぁ確信しておるけれども。何か今日は、そういう兆しを感ずるんだと。はぁもう、普通だったら、今頃は、私は、もう御大祭が済んだ、御直会が済んだ、今、丁度、休んでおる時なんだけれどね。今日という今日は、おかげ頂いてから、あーた達の、この会合にも入らせて頂いて、本当におかげを頂いた。みんなも、もう本当に、おかげを頂いた実感のなかに、丁度、夜の御祈念の終わる頃まで、色々、本当に有難い雰囲気の中に、信心共励が出来たんです。
私は、今日、八十一節を頂いてですね。はぁ、八十という事は、こう広がるということ、これからも。その今日は、第一日に当たる。だからこの、八十一節を、私は、今日頂いたんです。昨日の報徳祭を境に、例えば、昨日、御大祭の雰囲気の中からです。新しい兆しを感じたと。ね。そこから、お互いの信心が、ね。ほんなら、合楽の信心が、いわば、そういう意味合いにおいての第一歩を、今日から、また、踏み出させて頂くという事がです、まぁ有難いと同時にです、ね。氏子、十里の坂を九里半登っても、という事は、例えば、一日の上にでもあるという事です。ね。やれやれ、大変でした。大祭が済みました。皆さん、お疲れさんでした。私、ちょっとご無礼して、一時、休ませて頂きますよと。これが、今まで、あったんです。そして、また、夜の御祈念に出てきてから、御祈念して、それから、御初穂の整理だった。そこの間にです。やれやれ、もう九里半登ったから、後、安心しておると言った様なところがあったんですけれども。昨日は、いわば、最後の最後までですね。まぁ十里を登りきったというような一日でした。だから、日々が、これでなからなければいけないなぁという事なんです。
どうでしょうか、皆さんでも、一つのことがなされますと、やれやれと、それで決まるのです。そして、まぁ、こんなおかげ頂いたけれども、やれやれ、御礼はもう、明日で良かたいという事になったりするのは、もう、いわば、九里半登っておるから、一晩のうち、ちゃんと、ずるずると、元に戻ってしまっておる。そして、明日で良か、よかよか、もう、この次の月次祭どん、御礼申し上げようといったような事になって来るのです。これではね、信心のね、進展のしようがないです。ね。
一日のうちにでもです、ね。本当に、最後の締めくくり。今日も、おかげ頂きまして、有り難うございますというところまでですね。私は、日々を充実した信心、いわば、生活であらなければいけないという事を思います。とりわけ、今日、私が、今申します様に、ね。十二月の二十日という報徳祭が、そういう意義のあったことを、昨日、改めて感じると同時に、私自身、昨日の御大祭の中から、感じさせて頂いた。何とはなしに、これから、合楽の、一つにの兆し、生き生きとしたものの兆しを感じさせて頂いて、ね。ただ、感じただけじゃいかん。それが、本当の、例えば、芽が出らんなら、その芽が育って行かなければならない事のためにもです。ね。十里の坂を登りきってからという所にです。ね。安心の焦点と言うか、やれやれというところを置かせて頂かなければいけない。やれやれが、いけないのじゃない。けれども、そこは、やはり、十里の坂を登りきって、向こうへおりたらといった様な感じで、日々が過ごされなければならない。同時に、これからの、合楽の信心がです、ね。ほんなら、昨日の御大祭を、一つの境として、ね。大祭は、信心の見せ場であり、また、力の現し場だと頂きましたですね、真実。だから、言うなら、力も現した、見せ場もあったと、ね。けれども、見せ場があった、現し場があったじゃなくてから、結局、いうなら、最後の幕までをです、大事にしなければならない、ね。その頂点というか、クライマックスと言う、そこんところだけが、有難かったじゃなくて、最後の所まで、私は、大事にさせていただくものに、私共の信心が欠けておったという風に思わせて頂きます。
昨日、伊万里から、竹内先生と、一緒に皆さん、お参りになっておられました中に、お参りしたいけれども、お参りが出来ないと言う、もう、お婆さんですね。皆さんもご承知の方がおられましょう。伊上さんち言うて、大変、実意丁寧な信心をなさるお婆さんがおられます。今その、病院に、お手伝いに行っておられますもんですから、丁度その、なんか、病人さんを頼まれまして、見ておられましてね。その方に、付きっ切りしておられるもんですから、お参りが出来なかった。それで、その、お初穂と同時に、あの、御初穂の中に、手紙が同封してあった。もう、それこそ、お婆さんの、まぁ、素朴な表現ですけれども、なかなかその、自分の思いを、ある意味で、十分に言い表してですね、おられますんです。まぁ、ご事情が良いとか、何じゃないけれども、本当に、私が思うのにね、ようも、あぁいうお婆さんが、合楽の信心を、ここまで把握して、しかも、その様な線に沿うて、日々を修行しておられるという姿が、この中に現れておる様な気が致しますから、読ませて頂きます。
「親先生、私の、長いご無礼をお許し下さいませ。片時も忘れたことはありません。毎日、全身不自由な病人さんと取り組んで、多忙を過ごさせて頂いております。何一つするのにも、私の力、頭ではありません。親先生、生神金光様にお願いしいしい、成り行きを大事に、また、力も、神様から授けて頂き、毎日、する事なす事、私の石頭では、また、不自由ながらも、親先生、金光様のお力を貸して頂かなければ、一歩一歩進むことが出来ないのです。また、私の心は、鬼が沢山、時々、住んでおります。その鬼のお取り払いをするのに、今のような無信心では、出来ませんから、このたび、ご存知の通り、竹内先生の選挙のお繰り合わせと、いっそ、私の信心を強めさせて頂きとうございますから、私の臆病を一心にならせて、選挙の済むまで、石にかじりついても、今度の、竹内先生の選挙について、お繰り合わせを、一心に祈らせて頂き、信心させていただき、足を運ばせて頂く稽古をさせて下さいませ。切にお願いいたします。親先生、若先生、ご一同様。」とあります。ね。
これは、お婆さんが、いっぱしの頭を使われて、書かれたものだと思うけども、その心に思うておられる事を十分、こう、ね。たどたどしい、表現の中から、しかも、日々、信心生活が感じられますでしょう。ね。しかも、合楽の流儀にですね、その、日々を、成り行きを大切にしながら、そのまま生活をさせて頂いておるという事がね。そして、もう日々が、その改まるという事に。私の心の中に、鬼が住んでおるといったような表現で言っておられますようにですね。私共は、そういう日々がです、今日、私が申しましたね。私どもに、必要であると同時に、それも、例えば、なら、大祭が済んだから、これで、やれやれと言うのではなくて、そこからの信心を、思わせて貰うて、ね。十里の坂を、九里半登って、やれやれではなくて、十里を登って、向こうへ下りたら安心というような日々を過ごさせて頂かせて貰わなきゃならん。ね。どうぞ、とりわけ、今日の、八十一節を、こう一日の上においての、十里の坂という意味において、頂きましたがです。
特にこの、八十一節というところ、ね。合楽が、ずっと、八の字のように広がってきた。ね。広がってきたが、そこには、また一つの、節がある。報徳祭という、一つの節を、今日から、また、ある意味で、第一歩を記させて頂こうと言うようなね。一つ、まぁ、昨日のお祭りに感じた、何とはなしに、違った兆しをです。私共の信心の上にも、頂いていきたいとこう思います。
例えば、菊栄会の、まぁ危機といったような言葉で申しましたが、まぁ大袈裟に言えば、やっぱ、そうなんですが、連中も、何とはなしに、しゃんとするような感じが致しましたけれど。私共の信心が、言うなら、私が名将になりさえすれば、弱卒なし、ね。私が、立派になりさえすれば、ね。忠義な信者は、もう、絶対現れてくると。だから、人に言うことはないのだけれども、ね。私も、ぼつぼつだし、ね。ですから、ここ、お互いが、その、まぁ協力し合うてというかね、いわゆる、持ちつ持たれつと言うか、あいよかけよ的な生き方でですね。皆さんの信心の上にも、何かこう、昨日の御大祭を境に、何かそこに、新しい信心を、自分の身に着けておられるという事がです。今日の御理解のご真意のように思います。どうぞ。